201909171914

 

 

ブログを書き終えてはいたのだけれど、なかなかタイトルが決められなくて、散々迷った挙句に私の好きな方の真似をしてみました(普通に今の時間で深い意味は無い)。その人の話をします。私が今思うこと。

 

 

 

去年から今年にかけて、錦戸さんにとっての、カッコいい事、ダサい事の区別が、とてもハッキリしていたように私は感じていて、それがチラチラ見える度に、あぁなるほどねなんて思っていた。

せめて、「これは僕はダサいと思うのでやりません」とでも言ってくれれば、少しはうるさい外野からの攻撃をバリア出来るだろうに…と何度も思ったが、それもまた彼にとってはダサいことなので仕方ない。

 

言葉を尽くすということが、彼にとってはダサいことで、なかなか思っていることを私たちに対して分かりやすい言葉にはしてくれなかった。言わずにやる、それが錦戸さんがカッコいいと思っていることで、またそれが出来ちゃうんだからすごい。出来ない可能性が少しでもあるのなら言葉にはしないし、その分、言葉にしたことは絶対にやる。そんな彼のことを私は本当に信頼している。

 

 

2018年の夏、そんな錦戸さんがこれまでと違った。すばるくんへの言葉、ブログ、ツアーでの挨拶。グループのセンターを失って不安だった私たちを、とっても強くてちょっぴり不器用な言葉達で安心させようとしてくれた。今思えば、私たちをと言うよりも自らを鼓舞する言葉だったのかもしれないけれど。とにかく2018年の錦戸さんはこれまでに見たことの無い錦戸さんだった。言葉にしてくれれば、直接的で分かりやすいから嬉しかったし、何度もその言葉を読んで確信を得たような気分になっていたけれど、これまでと明らかに違う彼はどこか危うくて、いずれ散ってしまいそうなくらいのエネルギーで、ほんのちょっとだけ、怖かった。

 

ところが、2019年夏、錦戸さんはころっと今まで通りに戻った。もちろん2019年の錦戸さんが手を抜いていた訳ではない。2018年はすばるくんの半分くらいは錦戸さんが引き受けていたと私は思っているけれど、2019年は他の5人に少しずつそれを渡すことが出来たんじゃないかな。すばるくんや内くんまでもの面影を沢山見せながらのツアーだったのに、2018年よりもずっとちゃんと6人だった。これからも6人でやっていくのだと思っていた。報道がない世界で、彼らの姿だけを見ていたら、疑う余地もないほどだった。錦戸さんがまた不言実行の男に戻れていたから大丈夫だと思った。いつも通り、その姿で見せてくれた十五祭だった。カッコよかった。

 

最後の最後まで、いつも通りの錦戸さんだった。15年の関ジャニ∞と21年のジャニーズを終える日に、あんなにいつも通りでいられる錦戸さんに心底感心した。

あの日、十五祭最後の9月3日で、錦戸さんは関ジャニ∞としてのすべてのことを終えていた。最後まで何も言わず、あの東京ドームを最後にして去っていった。それが彼にとってのカッコいい事だったのだろうし、嬉しいことに私はそれを理解出来る。

 

9月5日、発表を受けた時、私は、あぁなるほどねと思った。何も言わないから本当は分からないことだらけのはずなのに、錦戸さんの言葉はたった数行のあれだけだったのに、分かった。寂しいけれど、何も言わずに去った錦戸さんに対して、負の感情はひとつも湧かなかった。こんな時でもちゃんと大好きだった。やめるという選択をした錦戸さんもちゃんと大好きだった。

 

 

錦戸さんを好きになって、この秋で丸5年。周りのお姉さん方に比べればまだまだ初心者だったけれど、私の青春のすべては錦戸さんで関ジャニ∞だった。私の平凡な人生に華やかな色をくれた。色々なところに連れて行ってくれた。初めての体験を沢山くれた。大切なお友達に出会わせてくれた。

ありがとう。これまで関ジャニ∞でいてくれてありがとう。ジャニーズのアイドルでいてくれてありがとう。

 

 

私もここで、関ジャニ∞とジャニーズから離れることに決めた。

あの十五祭最後の日を、私にとっても最後にしたいという思いが強くなった。あの東京ドームで見た記憶を、何で上書きもせず、ずっとずっと取っておきたくて。最後に持ったのは、大好きな錦戸さんのうちわでありたくて。

それが私のとってのカッコいい事だと思うのだ。

 

 

アイドルをやめたって、きっと大きいことをしてくれる錦戸さんだと信じているから、今はゆっくり待つことにします。

錦戸さんもゆっくり出来るといいな。そしてまた何かしらで活躍する姿を見たい。どんなことをしてくれるかな。楽しみだな。

 

 

大好きな錦戸担のお友達、また錦戸さんの現場で会いましょう。絶対に会いましょう。またその日まで。